悲しい
2005年9月23日俺が世界でもっとも愛してる人がこの世を去った。
彼女と始めて会ったのは俺の記憶があるうちでは岡山に住んでるときだ。岡山から東京の渋谷まで行き、そこで出会った。その人はしわしわの顔をもっとしわしわにして、俺達一家を迎えに来てくれた。
あら、大きくなったわねぇ、わかる?おばあちゃんよ?
そう明らかにちょっとオーバーなリアクションで、まだ飛行機に始めて乗った恐怖と興奮で胸がどきどきいってる俺に、彼女は大きく笑いながら言った。まだ母親の胸の中に抱かれていた俺は、幼いながらこのしわくちゃな顔を見て泣き出してしまった。
そうすると、初孫ということもあり、彼女は一層オーバーなリアクションでおどけたダンスを踊ってくれた。俺は笑った。
その夜はもう彼女にも慣れ、彼女とその夫に挟まれて眠った。寝る前にお話もしてくれた。あたかも自分が体験したように、そのファンタジーの世界を俺に教えてくれた。そのファンタジーの世界に入り込みながら、俺はすやすやと眠った。その話を聞いた夜は、おれはとてもいい夢を見れた。時に王様を守る騎士だったり、時に世界を渡る映画監督だったり。
そして俺が5歳のころ、おれは彼女の家に行くと「ただいま」というようになった。母がそう言ってたし、俺もその家に行くとそう言いたくなった。そしてその頃、母は男の子を産んだ。生意気になってしまったが、可愛い弟だった。その弟が生まれたとき、彼女は俺に
もうおにいちゃんね。おにいちゃんは弟に優しくしてあげなきゃいけないのよ。
と、よく聞かせた。その頃は親父はバリバリのサラリーマン、俺は渋谷の家に三ヶ月ほどいた。毎日のようにお話を聞き、毎日のように朝6時から散歩に出かけた。朝の静かな渋谷を俺と彼女で、コンビニで買ったアンパンを食べながら歩いた。
彼女の夫は代々株式会社の社長で、彼女の夫はいつも帰りが遅かった。しかし、家に帰って何より先にやることが頬に口付ける事だった。休みの日にはよく家族でご飯を食べに行ったりもしてたらしい(それを母は今俺の父親と実践している)。その愛する夫を先に交通事故で亡くした彼女は葬式の席で声を上げて泣いていた。俺は、まだ12歳。できることなんて大したことはなかった。昔彼女の夫がしていたように、頬に可愛く(?)ちゅっとするぐらいだ。彼女はまた泣き出し、その横で途方にくれてた俺も大好きなおもちゃを取られたかのように声を上げて大泣きした。
そして、俺が19歳の誕生日。久々に彼女の声を電話越しに聞いた。
元気にしてるの?
お仕事大変?
そんなどうでもいいことを、30分程度話した。きっとこの時、彼女の声を聞くのが最後だとわかっていたら、もっとまともなことを話していただろう。彼女の声で聞いた最後の言葉は、
体だけは大事にね!!
という、言葉だった。そのときに、俺は彼女に向けておばあちゃんもね!!とは言わず、もうだめかも(笑)とかそんな自虐的な言葉しか返していなかった。今思えば何言ってんだ、と、自分でも思う。ありえない、と、思う。
その後、彼女から手紙が来た。仕事を辞めてのらりくらりとやってる俺を心配して手紙をくれたのだ。
終わりには、「また、書きます」と、書いてあった。
そして、その手紙の途中を書いてるとき、彼女は亡くなった。
脳溢血だそうだ。
こんな話があるか、そう思った。母が俺の行きつけのバーまできて、親父と弟と共に先に行ってしまった。俺は完全に置いて行かれた。そんなことより、彼女の死が俺の脳を砕いた。何も考えられないほどに。もっと死にそうな人々を俺は介護で見た。なのに、なんで彼女を神は殺したか。全く意味がわからない。不平等だ。純粋に神を信じればこんな結末だ。彼女が生き返るなら人殺しでも何でもしよう。ただ、彼女が生き返るなら。
狂ってるわけじゃない。まだ話したいことが山ほどあるし、まだちゃんと夜、話してくれたお話も最後まで聞いたことがない。まだあなたは死んではいけないんだ。と、叫んだところで彼女はこの世に帰ってはこない。残念ながら、夢の世界のように彼女が帰ってくることはない。
明日、朝一番の電車に乗って、彼女に会いに行こうと思う。これから一週間、神奈川にはいない。
彼女に会ったら、まず、ほっぺにキスをしよう。俺ができるのは、大きくなっても変わらない。生きていても、死んでいても、どんなに遅くなったかはわからないけど、まず、ほっぺにキスをしよう。
彼女と始めて会ったのは俺の記憶があるうちでは岡山に住んでるときだ。岡山から東京の渋谷まで行き、そこで出会った。その人はしわしわの顔をもっとしわしわにして、俺達一家を迎えに来てくれた。
あら、大きくなったわねぇ、わかる?おばあちゃんよ?
そう明らかにちょっとオーバーなリアクションで、まだ飛行機に始めて乗った恐怖と興奮で胸がどきどきいってる俺に、彼女は大きく笑いながら言った。まだ母親の胸の中に抱かれていた俺は、幼いながらこのしわくちゃな顔を見て泣き出してしまった。
そうすると、初孫ということもあり、彼女は一層オーバーなリアクションでおどけたダンスを踊ってくれた。俺は笑った。
その夜はもう彼女にも慣れ、彼女とその夫に挟まれて眠った。寝る前にお話もしてくれた。あたかも自分が体験したように、そのファンタジーの世界を俺に教えてくれた。そのファンタジーの世界に入り込みながら、俺はすやすやと眠った。その話を聞いた夜は、おれはとてもいい夢を見れた。時に王様を守る騎士だったり、時に世界を渡る映画監督だったり。
そして俺が5歳のころ、おれは彼女の家に行くと「ただいま」というようになった。母がそう言ってたし、俺もその家に行くとそう言いたくなった。そしてその頃、母は男の子を産んだ。生意気になってしまったが、可愛い弟だった。その弟が生まれたとき、彼女は俺に
もうおにいちゃんね。おにいちゃんは弟に優しくしてあげなきゃいけないのよ。
と、よく聞かせた。その頃は親父はバリバリのサラリーマン、俺は渋谷の家に三ヶ月ほどいた。毎日のようにお話を聞き、毎日のように朝6時から散歩に出かけた。朝の静かな渋谷を俺と彼女で、コンビニで買ったアンパンを食べながら歩いた。
彼女の夫は代々株式会社の社長で、彼女の夫はいつも帰りが遅かった。しかし、家に帰って何より先にやることが頬に口付ける事だった。休みの日にはよく家族でご飯を食べに行ったりもしてたらしい(それを母は今俺の父親と実践している)。その愛する夫を先に交通事故で亡くした彼女は葬式の席で声を上げて泣いていた。俺は、まだ12歳。できることなんて大したことはなかった。昔彼女の夫がしていたように、頬に可愛く(?)ちゅっとするぐらいだ。彼女はまた泣き出し、その横で途方にくれてた俺も大好きなおもちゃを取られたかのように声を上げて大泣きした。
そして、俺が19歳の誕生日。久々に彼女の声を電話越しに聞いた。
元気にしてるの?
お仕事大変?
そんなどうでもいいことを、30分程度話した。きっとこの時、彼女の声を聞くのが最後だとわかっていたら、もっとまともなことを話していただろう。彼女の声で聞いた最後の言葉は、
体だけは大事にね!!
という、言葉だった。そのときに、俺は彼女に向けておばあちゃんもね!!とは言わず、もうだめかも(笑)とかそんな自虐的な言葉しか返していなかった。今思えば何言ってんだ、と、自分でも思う。ありえない、と、思う。
その後、彼女から手紙が来た。仕事を辞めてのらりくらりとやってる俺を心配して手紙をくれたのだ。
終わりには、「また、書きます」と、書いてあった。
そして、その手紙の途中を書いてるとき、彼女は亡くなった。
脳溢血だそうだ。
こんな話があるか、そう思った。母が俺の行きつけのバーまできて、親父と弟と共に先に行ってしまった。俺は完全に置いて行かれた。そんなことより、彼女の死が俺の脳を砕いた。何も考えられないほどに。もっと死にそうな人々を俺は介護で見た。なのに、なんで彼女を神は殺したか。全く意味がわからない。不平等だ。純粋に神を信じればこんな結末だ。彼女が生き返るなら人殺しでも何でもしよう。ただ、彼女が生き返るなら。
狂ってるわけじゃない。まだ話したいことが山ほどあるし、まだちゃんと夜、話してくれたお話も最後まで聞いたことがない。まだあなたは死んではいけないんだ。と、叫んだところで彼女はこの世に帰ってはこない。残念ながら、夢の世界のように彼女が帰ってくることはない。
明日、朝一番の電車に乗って、彼女に会いに行こうと思う。これから一週間、神奈川にはいない。
彼女に会ったら、まず、ほっぺにキスをしよう。俺ができるのは、大きくなっても変わらない。生きていても、死んでいても、どんなに遅くなったかはわからないけど、まず、ほっぺにキスをしよう。
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